七人塚

2015/9/5 17:48 投稿者:  kame

©森のいしぽん

 この塚は、今を去る四百有余年前、戦国の世に散った武将たちの眠る供養の塚です。

 天正二年四月(1574年)徳川家康は、自ら兵を率いて武田方の天野氏の居城「犬居城」を攻めました。折節、一両日の大雨で気田川は増水し、城攻どころか、ついには兵粮がつき一戦も交えず撤退を余儀なくさせられたのでした。

 一方、この状況をいち速く察知した天野軍は、すぐ様反撃に転じ、田能・大久保の「峨々たる岩石の細道」、しかも、雨後の悪路の中を三々五々撤退する徳川軍に、地の利を生かして襲いかかったのです。

 徳川軍は、深い林や森の中から矢を射られ砲火をあびせられたのです。応戦しようものなら雲を霞と深い森や岩陰に姿を消してしまうのです。

 徳川軍は、一之瀬まで退く間に、多くの武将や兵士が討死したり負傷したりしました。古い資料によりますと。討死した武将は、鵜殿藤五郎、堀平八郎、堀小太郎、小原金内、大久保勘七郎、玉井善太郎等二十余人と記されています。

 土地の人々は、この将兵たちの亡骸を葬り、「七人塚」と呼んで香華を手向け、盆には僧侶を招いて読経をするなど、四百年もの間、手厚く供養をしてきました。

 夏の日、塚の前にたたずむと、芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の心ばえを思い、昔日の姿が目の前に髣髴として、感慨一人であります。

 

 

七人塚
七人塚
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